鳥井信治郎の経歴!妻や息子たち,竹鶴政孝や松下幸之助との関係!名言も!【サントリー創業者】

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みなさんこんにちは!

今回は鳥井信治郎氏の経歴,妻や息子たち,竹鶴政孝氏や松下幸之助氏との関係,名言についてです。

 

近年朝ドラの「マッサン」で一部モデルにされていたって知っていましたか?

魅力的な商品を次々生み出した、鳥井氏の人物像について迫りました!

鳥井信治郎の経歴

引用:https://www.suntory.co.jp/

鳥井氏は、神童とも呼ぶべき、稀有な頭脳を持つ少年だったことは間違いありません。

わずか9歳で4つ上の高等科に進むことが許されるというのは、現代でもそうないでしょう。

それでは詳しい経歴を見てみましょう!

 

鳥井信治郎の経歴

  • 1879年 出生
  • 1888年 9歳     成績優秀で飛び級で4つ上の高等科へ進む
  • 1890年 11歳 私立大阪商業学校附属科へ進む
  • 1892年 13歳 薬種問屋へ丁稚奉公へ行く この時洋酒の知識を得る
  • 1899年 20歳 「鳥井商店」を起業する
  • 1906年 27歳 「寿屋洋酒店」を起業 ワインを売り出し苦戦するものの
         後に日本人の口に合う甘口の「赤玉ポートワイン」に切り替えて成功
  • 1923年 関東大震災が起こる
                 復興に尽力したおかげで主力商品「赤玉」の売り上げがさらに伸びる
  • 1929年 初の国産ウイスキー「サントリーウイスキー白札」
                 技師・竹鶴氏の協力で発売にまでこぎつける 後に普及品「赤札」も販売する
  • 1937年 「サントリウイスキー12番」(後の「サントリーウイスキー角瓶」)が大ヒット
  • 1962年 死去
  • 1963年 社名が「サントリー」へ改められる

 

鳥井氏は幼いころから勤勉かつ、自立性に富んだ性格でした。

当時は奉公が当たり前だったとはいえ、その期間わずか13歳の頃に聞き覚えた知識が

後々の大企業を作り出すきっかけになったなど、誰が予想したでしょうか?

 

鳥井氏は失敗も経験しながら、順調に酒屋の商売を繁盛させていきます。

その大きな転機となったのが、あの「赤玉ポートワイン」です。

現在は「赤玉スイートワイン」と名を変えているコレこそが、

朝ドラ「マッサン」で出てきた「太陽ワイン」の元ネタだったりします。

 

芸者に「赤玉のついた簪」を配ったり、初のヌード広告という大胆な手法でガンガン宣伝

そして関東大震災時、復興に乗り出した実績もあり、瞬く間に全国に広がりました。

当時は相当な高級酒で庶民はおいそれと買えなかったとはいえ、爆発的な人気を博したのは

鳥井氏の広告・宣伝の手法がずば抜けていたからに他ありません。

 

サントリーという社名も、赤玉=太陽=サン(英名)と鳥井をもじってつけたものです。

鳥井氏は後にサントリーウイスキー角瓶という、またも超人気の酒をこの世に送り出します。

失敗を恐れず、果敢に成功するまで挑むことができる、稀有な才能を持つ人でした。

鳥井信治郎の妻や息子たち

阪神阪急東宝グループ創始者の娘・春子女史との間に、三人の息子がいます。

残念ながら長男吉太郎は31歳の若さで亡くなってしまいますが、孫の信一郎は後に

3代目社長となりました。

次男佐治敬三(2代目社長)、三男信吾もそれぞれサントリーに貢献してきました。

 

2代目社長敬三の時には、一度頓挫したビール産業の再参入を。

3代目社長信一郎の時には、現場主義の徹底を。

4代目社長の信忠の時には、アメリカ市場への挑戦を。

それぞれの理念の元、会社を大きくしていきました。

鳥井信治郎と竹鶴政孝

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技術者・竹鶴政孝(たけつるまさたか)。

彼こそがあの朝ドラ「マッサン」の主人公のモデルです!

イミテーションしか存在しなかった日本に、初めての国産ウイスキーをもたらした人!

 

大変な偉業ですが、その成功には鳥井氏が大きくかかわっているのです。

鳥井氏は当時、赤玉ポートワインの成功に飽き足らず、国産ウイスキーの製造を目論見

スコットランドへ技師の手配をかけようとしていました。

しかし、「日本人で腕の良いものがいる」と竹鶴氏を推薦され、即スカウトしたのです。

 

鳥井氏がこの決断をしていなかったら、国産ウイスキーの誕生は、もっと遅かったかも

しれませんね。

鳥井信治郎と松下幸之助

松下幸之助と言えば、「Panasonic」の偉大なる創業者です。

恐らく様々なビジネス書(特に起業家について数多く記されている本!)にて、伝説の人物と

して描かれていることでしょう。

 

松下氏は1894年生まれで、鳥井氏とは15歳年が離れています。

実は2人は交流がありました。

大阪の自転車店で松下氏が奉公している時、輸入物の自転車・ピアス号を鳥井氏に届けたのが

きっかけで、以後経営の相談をしあう仲になります。

 

松下氏は謙虚な人柄で、他にも尊敬する起業家との丁寧な交流を欠かさない人でしたが

特に鳥井氏に対しては尊敬の念が強かったと見えます。

鳥井氏が亡くなって20回目の供養の年、記念像が立つことになりました。

その時87歳という高齢で、既に自社のセレモニーにも赴くのが限界だったのにも関わらず

この年には出席し、長年の恩義に報いる形で、スピーチをしたのです。

 

世のビジネスマンから、まるで神様のように思われている節がある松下氏。

このエピソードからは、鳥井氏がそんな超人物からの尊敬を受けるに値する、素晴らしい人

だったことがわかります。

鳥井信治郎の名言

「やってみなはれ」。

これこそが鳥井氏の原点にして、サントリーという会社を動かす原動力の言葉です。

言うは易く行うは難しといいますが、世の中にはリスクを恐れて全く勝負に出られない人も

いれば、無謀な賭けに出て身を亡ぼす人もいます。

 

赤玉ポートワインにしろ、ウイスキーにしろ、当初は「日本人の口に合わない」なんて言われ

敬遠されていた時期がありました。

ですがへこたれることなく、改良を続ける粘り強さが、こんなにも会社を大きくしたのです。

 

サントリーの公式ホームページでも大きく掲げられているこの名言。

この精神を忘れぬ限り、サントリーの躍進は止まらないのでしょう。

まとめ

日本において、酒造の歴史に名を刻む鳥井氏。

ひたすらに絶え間ぬ努力と、なみなみならぬ挑戦心で、いくつもの成功をつかんできました。

その姿勢には、子孫や社員、松下氏など、早々たる面子が惹かれる求心力がありました。

 

「やってみなはれ」を一生貫いた鳥井氏と、その思いを受け継いだサントリー。

今後の成長に、ますます期待できますね!

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