河村泰貴(吉野家社長)のプロフィールと経歴!年齢や学歴(出身高校,大学)を調査!【株式会社吉野家ホールディングス代表取締役】

みなさんこんにちは!

今回は河村泰貴(吉野家社長)のプロフィール&経歴,年齢や学歴(出身高校,大学)を調査しました!

誰もが一度は空腹時、お世話になっただろう「吉野家」。

そこの代表取締役に至るまでの、彼のヒストリーを調査しました!

河村泰貴(吉野家社長)のプロフィール!

https://diamond.jp/

河村泰貴(かわむら やすたか)

生年月日:1968年11月18日

出身地 :大阪府

学歴  :広島県立広島皆実高等学校卒業

職業  :実業家 経営者

肩書  :株式会社吉野家ホールディングス代表取締役社長

河村氏ほど「代表取締役」に縁がある人はそうそういません。

彼は吉野屋だけでなく、「セゾン総合研究所」「はなまるうどん」へ出向し、見聞を

広めています。

そして「はなまるうどん」の代表取締役にまで上り詰めたのみならず、当時非常な経営難

だった会社を建て直すと言う偉業までやってのけています。

その後、吉野家自体の代表取締役にも就任しています。

河村氏は「辣腕家のコストカッター」と呼ばれています。

1995年からM&Aや新規事業を積極的に盛り込んで、吉野家全体を多角的に成長させようと

目論みました。

そして幹部候補に各事業の部門のトップをやらせてみて、その適正を測ったのです。

年功序列などで、時に能力の足りていない人がトップになることは度々あるでしょう。

そういった事故を起こさないよう、早いうちに会社を進むべき道へ誘導していく。

この姿勢こそが代表取締役に抜擢された最大の理由と言えるでしょう。

河村泰貴(吉野家社長)の経歴!

引用:https://farm5.staticflickr.com

代表取締役にまで上り詰める人ならば、余程良い大学を出て、何かしら経済関連の資格を取り

エリート街道を突き進んできた人なのだろう…そう思いませんか?

実は河村氏は一般的なサクセスストーリーとはまったく異なる経歴を持っています。

河村泰貴の経歴

  • 1968年 出生
  • 1987年 広島県立広島皆実高校卒。 卒業後、吉野家アルバイトを5年間つとめる
  • 1993年 吉野家ディー・アンド・シー(吉野家ホールディングスの商号変更前の名前)
  • 1997年 セゾン総合研究所(西武百貨店のグループ)へ出向
  • 2004年 はなまるうどんの取締役就任
  • 2007年 はなまるうどんの代表取締役就任 倒産寸前のはなまるうどんを再建する。
  • 2010年 吉野家ホールディングス取締役就任
  • 2012年 吉野屋ホールディングス代表取締役就任

ご覧の皆さんは、学歴が高卒ということ、当初は正社員どころかアルバイトだったことに

驚いたのではないでしょうか?実際は全く逆ですね。

しかしこの5年間で現場のノウハウをしっかり学んだ経験が、後のはなまるうどんを

再建させ、尚且つ吉野家の代表取締役に就任するのに至ったのでしょう。

これは次期社長を選ぶ吉野家の審美眼もずば抜けていたといういい証拠ですね。

河村泰貴(吉野家社長)の学歴は?

河村氏の最終学歴は高校卒業です。

彼の卒業した80年代後半と言えば、受験戦争の熱こそ落ち着いたとはいえ、常識的にいって

大学へ行くべき、という風潮があったはずです(もちろん地方によって差は出ます)。

ですが彼は進学・就職活動をせず、吉野家のチェーン店でアルバイトに勤しみます。

時に実践の場に早めに出ることで、頭角を現すことがあるといういい例ですね!

吉野家の歴史・歴代社長は?

吉野屋が出来た時代は、なんと明治時代にまで遡ります。

時代は牛鍋など、肉食がもてはやされて、民間に広く浸透してきていました。

東京日本橋にて出店された吉野家ですが、創業者の松田栄吉「大阪市福島区吉野」

出身だったからその名がついたということです。

東京の店なのに大阪の地区の名がつくという、なかなか捻ったネーミング逸話です。

その後複数のお店に「のれん分け」をしつつ、1968年、本格的にチェーン店を出しました。

当初は好調でしたが、アメリカ進出が失敗し、多額の負債を抱えて1980年には倒産の憂き目

にあってしまいます。

その後セゾングループの傘下に入り、なんとか持ち直し、ひたすら負債を返済し、再建を

図ってきたのです。

1988年 同グループのダンキンドーナツと合併し、「(株)吉野家ディー・アンド・シー」と

名を変えて再びやり直しの機会を得ます。

そして2000年には上場、2004年にはなまるうどんと繋がっていくわけです。

河村氏が参戦したのは、負債を粗方払い終えてからの吉野家。

プラスマイナス0の状態から出発せざるを得ない状況でした。

彼の尽力の元、更なるいくつかの危機を乗り越えて、現在「吉野家ホールディングス」

して成り立っているわけです。

会社の危機には、常に河村氏のような起爆剤、起死回生の人材が必要です。

革新には思い切りが必要ですが、それ以前に体験に基づく力が必要です。

現場を知らない人には誰もついてきませんよね?

それを考えると、現場を知って、色々な会社の実情を見てきた河村氏が代表取締役になるのは

とても自然なことですね。

まとめ

引用:https://blog.finc.com/1496

現在吉野家の株などは、一概に「良い」とは言えません。

2019年5月の時点では、少なからず赤字も出しています。

ですが2020年より更なるセルフ化が進み、黒字へ移行していくという見込みもあります。

今までミラクルを起こしてきた河村氏だけに、今後には期待できそうです。

長い目で見ていきたいですね!

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