ジャニー喜多川の後継者は?若い時やギネス記録、名言もまとめてみた!【株式会社ジャニーズ事務所創業者】

みなさんこんにちは!

起業家INDEXのTomです!

今回はジャニーズ事務所の社長であったジャニー喜多川さんについてです。

テレビでよくお見掛けするジャニーズのタレントさんたちですが、口々にジャニー喜多川さんのことを慕うコメントがされています。

ジャニー喜多川さん本人自体はテレビで見たことないですが、きっと多くの人から愛されているぐらい人柄がよい人と思います。

そんなジャニー喜多川さんが2019年6月18日に緊急搬送されるという情報がSNSを中心に流れ、その後、7月9日に逝去されるという報道が入りました。

この機会にジャニー喜多川さんについていろいろ調べてみました!

ジャニー喜多川氏の経歴は?

ジャニー喜多川(じゃにーきたがわ)

本名:ジョン・ヒロム・キタガワ (John Hiromu Kitagawa)

漢字表記: 喜多川 擴(きたがわ ひろむ)

●1931年 ロサンゼルス市で誕生

●1962年 野球チームのメンバーからジャニーズを結成

●1975年 ジャニーズを株式会社として法人登記

●2011年 「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」と「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」のギネス記録に認定

●2019年 7月9日 解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で87歳で逝去

ジャニー喜多川さんの父親は喜多川諦道さんという方。

日本仏教・高野山真言宗米国別院の僧侶で、1946年から1948年までプロ野球チーム「ゴールドスター(1947年に「金星スターズ」に改称)」のマネージャーでした。

次男として、1931年(昭和6年)10月23日にアメリカ・ロサンゼルスに生まれたジャニー喜多川さん。

姉はメリー喜多川、兄はNASAでアポロの設計もしていた科学者でしたが1980年代に50代半ばで亡くなっています。

父親も兄もユニークな経歴を持った方のようです。

以下、ジャニー喜多川さんのユニークで波瀾万丈の半生です。

芸能界に入るまで

1933年、喜多川一家は日本へ渡航し、大阪市で生活しました。

しかし間もなくして母親が死去し、やがて第二次世界大戦が勃発すると子供たちだけで和歌山県に疎開しました。

日本の敗戦後、1947年に子供たちだけでロサンゼルスに帰国し、現地の高校に入学します。

高校時代にはロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」にて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトを経験していました。

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジに進学。

1950年、川田晴久さんとともに美空ひばりさんのロサンゼルス講演を行います。

父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったため、ステージマネージメント全体を担当しました。

これをきっかけに、美空ひばりさんとも親しく交流するようになり、日本芸能界への進出のきっかけとなったそうです。

1952年に再来日することになります。

日本では駐日アメリカ合衆国大使館に陸軍犯罪捜査局 (USACIDC, CID) の情報員(通訳の助手)として勤務していました。

当時、朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授するために、日本でわずか11ヶ月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供たちに英語を教えていました。

さらに、再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事顧問団に勤務。

その傍ら上智大学国際部(現在の国際教養学部の前進)に進学し、上智大学を卒業。

大学在学中の1955年(昭和30年)、バンドを結成し芸能界へ参入する運びとなります。

以降は日本に永住しています。

ざーっと読んでいるといろいろすごい経験をされてきたのだなと感じます。

日本でも海外でも豊かな経験を積んだことが今日のジャニーズ事務所を成り立たせているのでしょうか。

ジャニーズ事務所の設立

1960年代はじめ、ジャニー喜多川さんは自分の居住していた代々木の占領アメリカ軍宿舎にて、近所の少年たち約30名で構成された少年野球チームのコーチを務めていました。

そのチーム名は、本人のニックネーム「ジャニー (Johnny)」からとって「ジャニーズ」と名付けられていました。

このチームのメンバーには、浜田光夫さん、小畑やすしさん、設楽幸嗣さんなどもおり、応援団には松島トモ子さんもいたそうです。

このチームはプロ野球の球団や元力士の力道山などに支援されており、後に練習場も池袋にある立教大学のグラウンドへと移行しました。

ある日、このチームのメンバーの中から渋谷区立代々木中学校の生徒4名を選抜し映画館に連れて行きます。

そして、そこで鑑賞した映画『ウェストサイドストーリー』に一同感動し、エンターテインメント事業を興業することを決意しました。

1962年4月、自身が結成させた野球チームのメンバーである4名の少年により最初のグループであるジャニーズ(通称・初代ジャニーズ)を結成します。

1962年6月にジャニーズ事務所を創業して、当初は渡辺プロダクションと業務提携し渡辺プロを窓口としていましたが、1975年1月に正式に株式会社として法人登記しました。

姉のメリーは、1950年代からカウンターバーを経営しておりましたが、ジャニー喜多川さんがジャニーズ事務所を創業するとバーは廃業をし、事務所の経理を担当するようになりました。

男性アイドルスターの事務所としての成功

ジャニーズ事務所が大手プロダクション業界を席巻し始めたのは1980年代に突入してからです。

事務所黎明期の「フォーリーブス」「郷ひろみ」らに始まり、「たのきんトリオ」・「シブがき隊」・「少年隊」などの3人組アイドルグループを成功させました。

1980年代には、7人組メンバーによるユニット形式アイドルグループ「光GENJI」をデビューさせ、波に乗っていきました。

光GENJIといえば、ローラースケートで踊りながらアクロバティックなライブを行うのが有名ですよね!

1990年代には、「SMAP」を個性的なマルチタレント型グループとして、ライブだけでなくバラエティー番組でも活躍できるアイドルとしてプロデュースさせます。

光GENJIの路線からさらにグループ性を発展させ、かつ短命に終わらない持続性をもったグループとして、これまでにない大きな成功を勝ち取りました。

その後もバンド形式の「TOKIO」、年齢差のある個性派集団の「V6」、関西系の二人組ユニット「KinKi Kids」、王道的アイドルを目指す「嵐」らが次々にデビューし、SMAPの確立したバラエティー番組でも活躍できるアイドルグループとして、着実に成功を納めていきました。

さらに2000年代には、Kinki Kidsに続く二人組ユニット「タッキー&翼」、V6、嵐に続くワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューした「NEWS」、TOKIOに続くバンド形式の「関ジャニ∞」、ジャニーズの異色グループ「KAT-TUN」、メンバー全員が平成生まれの「Hey! Say! JUMP」と続々と新たなグループがデビューし、個性的なグループが多く誕生しました。

そして、2010年代には、少年隊以来の3人組ユニット「NYC」、光GENJIを彷彿させるローラースケートを武器にした「Kis-My-Ft2」、嵐以来の5人組グループでワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューした最後のグルーブ「Sexy Zone」、KisーMyーFt2同様、Jr.時代が長く、ジャニーズ初のDVDデビューをした「A.B.C-Z」、V6同様に年齢差のある「ジャニーズWEST」「King&Prince」がデビュー。

これまでの成功事例を取り入れる形で、世に送り出しました。

ジャニー喜多川氏の若い時や生前の姿

引用:https://jpedia.jakou.com/johnny.html

上の写真は20~30代ごろだと思われます。

若い頃は非常に短気で、怒る前になると唇がピクピクと引き攣る癖があったそうです。

人に対する好き嫌いが非常に激しく、人を一瞬で好きになるが、一瞬で嫌いにもなる性格でした。

そして亡くなる直前の姿がこちら。

引用:https://news.livedoor.com/article/detail/16680562/

引用:https://www.cyzowoman.com/2018/10/post_204695_1.html

引用:https://bunshun.jp/articles/photo/12466?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=partnerLink

ジャニー喜多川さんの性格については、

ジャニー喜多川というたった一人の人間の、ほんの些細な意向、気まぐれによって、膨大な数の少年たちの人生がいとも簡単にバタバタと変えられてしまう。

本来ならスターになれる逸材であっても、ジャニーの個人的な感情一つでその道は断たれてしまう。

逆に気に入られればスターにされ、億万長者にもなれる。 ジャニーがもたらす影響力はあまりにも大きいがゆえに、残酷でもある。

引用:https://jpedia.jakou.com/johnny.html

カリスマならではの人柄が語られています。

数多くのスターを輩出してきたプロデューサーですから、ジャニーズ事務所内での影響力はすごいものだと思います。

ジャニー喜多川氏が緊急搬送!後継者は?

そんなジャニー喜多川さんに深刻なニュースが入りました。

6月18日に自宅マンションで倒れ、救急車で都内の病院に緊急搬送されたジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏(87)。多くの所属タレントが大挙して見舞いに訪れるなど、その病状や事務所の今後を心配する声が上がっているが、そのジャニー喜多川氏が数年前、自身の後継者について驚くべき発言をしていたことが明らかになった。

引用:https://news.livedoor.com/article/detail/16680562/

2019年の6月下旬ごろに病院へ緊急搬送されたジャニーさん。

そして2019年7月9日、くも膜下出血によりお亡くなりになりました。

そんなジャニー喜多川さんはジャニーズ事務所の代表取締役社長ですが、次の後継者は誰なのかと話題になります。

ジャニー喜多川さんが社長だった時は、副社長を姉のメリー喜多川さん(2019年現在92歳)と、その娘である藤島ジュリー景子さん(2019年現在52歳)の2人が務めています。

そして後継者として、藤島ジュリー景子さんが社長に就任するといわれています。

今後のジャニーズ事務所がどうなっていくのか注目です。

ジャニー喜多川氏のギネス記録!

ジャニー喜多川さんの活動はなんとギネス記録に認定されるものでした!

しかも3つ記録を持っているから驚きです!

その3つの記録がこちら。

「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」

「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物」

「チャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物」

2000~10年の間に8419回のコンサートをプロデュースしました。

さらに1974~2010年の間に、40組以上のグループの232曲が「ナンバーワン・シングル」になったといいます。

数々の男性アイドルをプロデュースしてきたジャニー喜多川さん。

プロデューサーとしての千里眼はとてつもなくすごいものですよね。

この子は将来売れるみたいな!

ジャニーさんはめったに表にでることはありません。

ですが、一方で「ギネスに認定されることは外国のショービジネスで権威付けになる」と語っています。

ギネス認定によってをジャニーズタレントのの海外進出の足掛かりにする狙いも示していました。

国内では今でも絶大な人気を誇っているジャニーズタレント。

今後の海外進出もどんどん増えていきそうです。

ジャニー喜多川氏の名言!

引用:https://matome.naver.jp/odai/2139144781682074301/2139145895988196603

ジャニー喜多川さんといえば、ジャニーズタレントのことを「You」と呼ぶのが有名ですよね!

テレビでタレントがジャニーさんのエピソードを語るときに「Youはさぁ」「Youやっちゃいなよ」とよく耳にします。

基本的なことができなければ、仕事はできない

出世の方法ではなく、夢に向かって頑張ることを教えたい

可能性のあるなしに関係なく、夢を描くこと

夢を抱いた光る目、プロとしての気迫と頑張り。これに勝る才能などない

引用:https://meigen.keiziban-jp.com/j_kitagawa

ロス出身のジャニー喜多川さんのアメリカンドリームらしい言葉が並んでいますね。

さらにさらに、

この間2ヶ月の子の写真送られてきてさ、うちは託児所じゃないんだよ!

(中丸に対して)いや、YOUは中の上だよ!

(井ノ原が初めて雑誌に出たとき、その出来栄えにご立腹)誰が出して良いと言ったの!?

(井ノ原の愛犬に向かって)こんな不細工な飼い主でかわいそうだな~

(井ノ原に対して)YOUは整形しないの?ボクは反対しないよ?

(佐藤勝利に対して)Youは特別カッコいいよ

(機嫌が悪いときの横山裕の呼び方)白いの

(横山裕に対して)YOU、なんで関西人なのに面白くないんだよ

(桐山照史への一言)YOU ぶさいく

(諸星翔希に対して)YOU、デブだね!

(中居君に対して)YOU DIE

YOU、誰?

面白いですね笑

裏表がなく、思ったことを素直に言うのでしょう。

ですが、ジャニー喜多川さんの人柄は、様々なジャニーズタレントが口にしているように、とても尊敬され、親のように慕われています。

今井翼さんは「世間のイメージとは裏腹に、とても庶民的」と語っています。

まだ将来が分からない小学生の男の子に対して、「Youいいね!」と言って、ジャニーさんが直接声をかけられた人はみんなスターになっていっている感があります。

このような先見の明というのは、持って生まれた才能だと思います。

ジャニーさんにかわるようなプロデュース力があるひとが後継者に就けば、ジャニーズタレントはまだまだ進化していくのではないでしょうか。

今回はジャニー喜多川さんでした。

ありがとうございました!