石橋正二郎の略歴紹介!邸宅や妻,名言を紹介【株式会社ブリヂストン創業者】

みなさんこんにちは!

今回は石橋正二郎氏の略歴紹介,邸宅や妻,名言を紹介します!

皆さんもご存じタイヤの会社であるブリヂストン。

元々は足袋をつくっていた会社だということは知っていましたか?

ちいさな足袋屋がどのようにして世界的なタイヤメーカーになったのか。

正二郎氏の生涯を追いながらその秘密を解き明かしたいと思います。

石橋正二郎の略歴紹介

引用:http://c.nishinippon.co.jp/

石橋正二郎(いしばし しょうじろう)

・1889年 福岡県にて生まれる

・1906年 家業の仕立物屋を継承し 足袋専業に改める

・1918年 日本足袋株式会社を創立 日本足袋取締役に就任

・1930年 日本足袋社長に就任

・1931年 ブリッヂストンタイヤ株式会社を設立

・1942年 日本タイヤ株式会社の社長に就任

・1959年 国立西洋美術館評議員、東京国立博物館評議員に就任

・1963年 ブリヂストンタイヤ会長就任

・1973年 ブリヂストンタイヤ取締役相談役就任

・1976年 死去

1889年2月1日に福岡県の久留米にて、仕立業「志まや」を営む父徳次郎と母マツの次男として生まれました。

旧暦正月二日であったことから、正二郎と名付けられたそうです。

正二郎氏は生まれつき体が弱かったそうで、無口でハニカミ屋な少年でした。

小学校は欠席がちでしたが、学業成績は良く首席で卒業したそうです。

足袋専業

久留米高等小学校、久留米商業学校を経たのち、父徳次郎の命により家業を継承することになりました。

弱冠 18歳で仕立て屋「志まや」の切り盛りを一人でやることになった正二郎氏ですが、仕立物屋の将来性に対する疑問から、足袋専業に改めます。

世界的に有名なブリヂストンタイヤの起源は足袋の会社だったのですね。

車のない時代から人々の足元を支えていたと思うとなかなか興味深いです。

また、正二郎氏は賃金制度の導入や、九州地域で最初の自動車を購入し、町の中を走らせて足袋の宣伝など積極的な経営を行っていました。

これらはすべて正二郎氏の独断であり、父にはすべて事後報告だったようです。

そのため、父にはとても怒られたそうですが必ず上手くいくという確信があったため意見は曲げなかったそうです。

十代の頃にここまでの先見の明と決断力があるなんて天才だとしか言いようがないですね。

その結果、先行する大手の足袋会社と肩を並べるほどに成長を果たします。

その後も第一次世界大戦による物価高騰の予見や、事業基盤を固めるための「日本足袋株式会社」設立、わらじや下駄に替わる地下足袋(ゴム底の足袋)の開発、ゴム靴(現在でいうスニーカー)の量産など、その経営手腕を発揮し続けました。

そうして正二郎氏の日本足袋株式会社は足袋の四大メーカーの1つ呼ばれるようになりました。

ブリッヂストン設立

1928年頃、正二郎氏は欧米諸国のゴム工業における主力が自動車タイヤになっていることから、自動車タイヤの国産化を決心しました。

当時、日本の自動車の保有台数は約5万台、使用されているタイヤのほとんどが欧米からの高価な輸入品か外国資本の国内工場で生産されたものだったのです。

そのため、純国産タイヤの安価販売は日本自動車発展に貢献できると考えました。

また、企業の力で輸入防止や輸出振興の国策に貢献したいという使命感、自分の手で新しい産業を開拓したいというチャレンジ精神が正二郎氏の背中を押したそうです。

そして、1930年についに日本足袋タイヤ部でタイヤの製造が始まったのです。

これらも全て正二郎氏の独断による決定だったため、当時の幹部たちはとても驚いていたそうです。

そして1931年、正二郎氏はブリッヂストンタイヤ株式会社を設立します。

社名は、世界各国に親しまれるようにと石橋の姓を英語に言いかえ逆に置き換えた「ブリッヂストン」としました。

設立直後は、信用を得るために不良品を無償で新品に引き替える品質責任保証体制を採用したのですが、たった3年で10万本のタイヤが返品され存続が危ぶまれたそうです。

しかし、品質改良を重ねた結果、1932年に優良国産品の認定を受け、日本フォード社や日本ゼネラルモーターズ社などからも納入適格品に認定されるようになりました。

販売開始からわずか5年で外資系企業と肩を並べるまでに成長したなんて本当に凄いですね。

ここに至るまでの苦労は計り知れないと思います。

その後もナイロンタイヤやスチールラジアルタイヤと世界に認められる商品の開発を続け、ブリヂストンタイヤはミシュラン、グッドイヤーと並ぶ世界三大ゴムメーカーへと成長しました。

石橋正二郎の邸宅

引用:http://www.belca.or.jp/l113.htm

正二郎氏の邸宅は現在、アメリカ公使館となっています。

正二郎氏は美術品や芸術品に目がなかったそうで、外装、内装ともにインターナショナルスタイルの特徴が強く出た素晴らしい建物になっているようです。

石橋正二郎の妻

正二郎氏の妻は石橋昌子という方です。

短歌や俳句、随筆、茶道などなど、非常に多彩な趣味をもっており、正二郎氏の活躍を支え続けた陰の功労者でもあります。

日本ユニセフ協会の設立にも参画しており、その活動に尽瘁していました。

夫婦そろって利他主義の精神を大切にしていたのですね。

石橋正二郎の名言

正二郎氏は生涯のなかで非常に沢山の名言を残しています。

「言葉をつつしみ、自分の偉さをあらわそうとはせず、気どらなければかえって人に尊敬され、親しまれ、したがって自分も楽しみが多いが、いばり、虚勢をはる人は他からきらわれて、孤立し、人望を失うにいたる」

「企業活動は利益を目的としてはいけない。
まず良い物をつくりお客様に喜んでいただき、その結果として利益を頂く。
そして、その利益は事業へ積極的に再投資するとともに、社会に還元しなければならない」

どの言葉をとっても当時の正二郎氏がどのようなリーダーシップを発揮し、利他主義精神をどれだけ重視していたかがわかりますね。

まとめ

確信したことに関しては全て独断、周囲には事後報告という経営スタイルを貫いた正二郎氏ですが、その根幹にあるのは「利他主義」の精神でした。

どうすれば多くの人のためになるのか。

それを考え続けてきたからこそ独断出来るほどの強い確信が生まれたのだと思います。

近年、自己の利益を優先する考え方が世界的に広がってきています。

変化の多い時代ではありますが、“利他主義精神を持つ会社が発展する“という正二郎氏の教えはこれから先も変わらないと思います。

利他主義の精神や経営の手腕、先を見通す力など正二郎氏の生涯は非常に勉強になることばかりですね。

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